2011年9月26日月曜日

労農派の歴史研究会第131回例会報告

「新中期路線」は、当時の社会党左派が真剣に議論してつくりました。多くの国民の賛同を得られるように、配慮もしました。しかし結果として、国民の多数を代表する組織(労働組合、農民組合、その他)の指導部の賛同は碍られませんでした。

 1970年代というのは.「ニクソン・ショック」の後の時代です。「ニクソン・ショック」というのは、アメリカの経済が弱くなって、ドルの価値を維持できなくなり、世界経済を不安定にした区切りの出来事です。つまりアメリカを中心とした世界資本主義の弱さをさらけ出した時代になったのです。ソ連を中心とする社会主義の側の内部矛盾も、深刻になっていたようですが。こちらのほうはまだ実情が明らかではありませんでした。そこで西欧でも「ユ―ロ・コミュニズム」などの動きが、活発になっていたのです。「日本でも、遅れるな」という意識もありました。今に比べれば、周囲からの注目もあったと思います。

 しかし、前回の報告でも述べられていたように、「国民連合」(統一戦線)やその政府が実現しなかっただけでなく、その総括、原因の解明もされないまま、情勢が変わってしまったのです。ソ連が崩壊してしまって、落ち着いた総括の議論ができないような雰囲気になったのは事実ですが。問題点の解明はしなければいけないと思います。
 失敗の原因を、特定の人物、勢力に押しつけて、非難-糾弾するという昔の左翼の悪い体質も、克服されなければなりません。客観的に、不一致点を解明して、次の運動では改善する(それでも主導権争いは、なかなかなくならないでしょうが)ようにならないと、成功はおぼつかないと思われます。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_008.htm

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